セッション [映画]
予告がまあ怖いこと怖いこと。
でも面白そうなので初日にいそいそと見てきたのだった。
ニーマンはジャズドラムで有名になろうと野心を抱く若者。
アメリカで随一の音楽学校へ入学し、彼が率いるバンドに入れば将来は間違いなしと称される教師、フレッチャーのバンドへ引き抜かれる。
これで俺の将来は約束されたも同然、と思ったニーマンだったが、フレッチャーの指導は度を超えたものだった。
ニーマンのドラムは技巧はすぐれているけれど、正直楽しくないし心がないし、ジャズでいうところのスウィング、ぜーんぜんしていない。
見ている方もただただ怖いわ辛いわ「血ぃダラダラ流してまで練習する必要があるのか?」「それで本当に音楽をする意味があるのか?」とうんざりする。
鬼教師は生徒を育てているというよりは、その才能を心を、つぶそうとしているようにしか見えない。
そして迎える破綻。
わたしはここで映画が終わるのかな、と思った。
しかしそうではないのがこの映画のキモ。
聴いている凡人には、フレッチャーが違うと言い続けたテンポの違いなぞわからないし、技巧だけに頼った音楽になんの希望があろうか、と思う。
けれどそれを越えたところにこんな景色が広がっていたのか、と驚かされる。
その特別な場所へ到達した者同士、言葉はなくともすべてを許しあえる。
山のように積みあがったわだかまりなど些細なことにすぎないのだ。
そういう場面を観客は目の当たりにし、圧倒される。
やー、でも、フレッチャー、マジで嫌な奴だったぜ・・・